2019年5月24日公開「貞子」レビュー 酷評
こんにちはゆうりです。本日公開の「貞子」を観に行って来ました。
待ちに待ったこの日、朝目が覚めると同時に高揚が隠しきれませんでした。
朝一番に映画館に乗りこみ、期待と不安を胸に上映を待ちました。そして、最後までじっくりと「貞子」を観て来ました。今日はその感想です。
先ず初めに、本作に期待に胸を膨らませている方にはお勧めできない内容になっている事を明記します。内容の細かなネタバレはしませんが、感想が映画そのものの評価としての結果が出てしまっています。所詮他人の言う事だからレビュー内容なんて気にしないよ!という方のみこの先を読み進めて下さい。
映画「貞子」
「(今度こそ)きっと来る」。初代「リング」から21年、ずっとそう願ってやまなかったファンは多いでしょう。きっとあの恐ろしい貞子の姿が見れる事を願った筈です。私も本作にそれを大いに期待していました。なんせタイトルが「貞子」ですからね。数ある続編シリーズの中でも、このタイトルが提示された時には他とは一線を画す決定的な違いを求めていました。
上映から約10分程でこの期待は揺らいでしまいました。「これは悪い意味でやばい」と。どこかで観た事があるような、そしてどこにでもあるような雰囲気に嫌な予感がしました。
物語は不思議な少女の存在を軸に展開していきます。そして、精神科医である主人公(池田エライザ)の周りで徐々に巻き起こる怪異の数々。狂気を秘めた患者、失踪したYoutuberの弟。段取りは一般的なホラー映画にありがちな展開です。しかし、貞子という存在によって謎はより深く…より不気味なものに…となって欲しかったです。残念ながらそうはいきませんでした。
タイトル「貞子」の意味がまるでない。
観ていて思った事は只巻き起こる怪異の一つとして貞子が居る、といった印象です。
別に貞子でなくてもいくらでも代用が効くような内容でした。タイトルを「貞子」と銘打っているからには彼女を出したと言うだけで、演出としてはきっと貞子でなくてもなんでもいいんです。
貞子はキーマンとしての役割もてんでありませんでした。只貞子をつっこんどけば「貞子の映画」として成り立つかのようなぞんざいな扱いの映画であった、というのが正直な感想です。
脚本の軽薄さ
初代「リング」、続編の「らせん」はミステリー要素と切っても切れない関係でした。
「リング0バースデイ」さえミステリー要素はある程度減れど、日本の風土に根付いた不気味な雰囲気はまだ保たれていたかと思います。本作はそれに通ずるものが全くありません。身の回りでやたら変な事が起こった、追及(といっても失踪した弟の動画を見る位)していったらどうも伊豆大島が怪しい、怪異(ビックリ系)起こる。泣かせのシーンが入る。おしまい。何とも言えない流れです。
シチュエーションは現代にスポットを当てているので初代と比べて時代背景が変わっている部分はありますが、それは全く問題ないのです。内容が薄い。何度考え直してもこの答えに尽きました。
貞子は「来なかった」
主人公たちの日常に徐々に浸食する恐怖、そして「来る」貞子。それが私の大好きな貞子でした。
駄作と名高い貞子続編シリーズですが、本作も「貞子ありき」という印象が否めません。勿論ここまで日本のホラー界としてヒロインの座を得た貞子です。それでも当たり前に「居る」事が大前提にあってはならないと思うのです。
「貞子が居る世界前提で色々起こる」なんて、なんて勿体ない事でしょうか。
来て欲しいのです。私たちの日常が徐々に歪み、そして別世界の恐怖から脅かされたいのです。
本作の貞子は残念ながらホラーアイコン以上になれなかったというのが率直な感想です。
そしてきっともう一生、リングの時に出会った貞子には会えないんだと思って悔し涙が流れました。
この記事を書いていて思ったのは非難というより絶望でした。悲しい。たかが映画されど映画。私は貞子が大好きでした。過去形になってしまうのが悲しいくらいの映画でした。
時代が現代でもいいのです。呪いの媒体が何だっていいのです。猛スピードでTVから出てきても構いません。設定が初代と違ったって構いません。そこに中身があるなら。
この先があるのかは解りませんが、それこそ焼き増しされた上辺だけの貞子が彷徨っていく未来しか見えません。貞子、もっと私たちの世界に蔓延して、本当の恐怖に陥れて欲しかった。私の生きているうちにいつかそんな日が来る事を願っています。